クレージーフライフィッシャーへの道

2007年5月30日 (水)

邂逅~フライフィッシング~ その10(完結編)

初めての転勤で今の街に住むようになった。いい川がたくさんある。イトウ釣りにはまっている。本流のウェットがますます好きになった。そして、スペイキャストをはじめる。きっかけはなんだろうか…。最近のことだけれどあまり明確なきっかけは覚えていない。ただ、スペイをやりだして釣りの幅が大きく広がったことは確かである。重たいシンキングラインやウォディントン、チューブフライなど比較的大きなフライも安全にキャストできるようになった。本流の釣りの視界が明るく開けた感じである。それから、スペイキャストをしているとたいして魚が釣れなくても楽しいのである。まだまだキャストの腕はたいしたものではない。ときおり気持ちよくラインが飛んでいけば、にや~と怪しげな笑みを浮かべ釣っている。

これからの私の釣り人生いったいどこへむかうやら…。夢がたくさんある。

本当の自分でいられる瞬間、それがフライフィッシング。仕事や日常からちょっとだけ自分をリセットできるフライフィッシング。それがいい。

知らないうちに、あっちこっちに仲間ができている。こうやってブログで日本中、世界中のキチガイの皆様とつながっている。それがいい。

川で出会ったみなさんと今は酒を飲む仲になっている。年に数回だけれどみんなで集まって、釣り談義に花が咲く。それがいい。

 いいことがいっぱいだ。フライフィッシングに出会ってほんとうによかった。こうやって、これまでのフライ人生を振り返ってみると、いろいろな人との出会いがあった。一期一会の出会いもあれば、一生のつき合いになる出会いもある。それから、数え切れないほどの魚との出会いがあった。

これからも、クレージーに拍車がかかることは間違いない…。あの夏の雨の日。伯父につれていってもらった、初めての釣り…。あのときの情景が鮮明に目に浮かぶ。初めて魚をかけた少年の日のあの鼓動がまた蘇ってきた。

邂逅~フライフィッシング~ 完

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2007年5月28日 (月)

邂逅~フライフィッシング~ その9

就職して故郷に戻った。ほとんどフライだけの釣りになった。大学4年間で開発したお気に入りのカゲロウフライは、故郷の川でも魚を呼んだ。仕事の帰り道、イブニングライズを狙って、とある堰堤でライズ待ち。マッチ・ザ・ハッチの釣りにはまりだす。巨大な魚が釣れた。真っ暗闇になる直前こんなヤツどこに隠れていたんだって思うくらいにでっかいヤツが顔を出す。ライズの前にフライを落とす…「がぁばぁぁ」ものすごい音を立てて巨大な魚がフライを吸い込む…ぎぃぃぃぃ~とリールが唸りを上げて逆転。暗闇の中60㎝のレッドバンドの完璧な魚体をランディング。足はがくがく、手はブルブル。サイコーのライズハンティング。

本流を釣る中で、次第にウェットフライにとりつかれていった。タイイングも難しいし、釣り方もはっきいってよくわからない。ある夏の日の本流。ドライフライでまったく魚が出なかった。「う~む。どうしよう…」考えた私は、フライボックスの片隅に引っかかっていたウェットフライをティペットに結んだ。キングオブアレキサンドラもどき。ピーコックソードをウィングに使ったフライ。いままで、ドライフライにはな~んにも反応しなかったポイントに訳もわからず、流してみた。「ず~ん」という感じでニジマスが釣れた。ウェットってすごいなあ…。もうこの経験から、ウェットバカへ一直線だった。ちなみにこのキングオブアレキサンドラもどき、いまでも私のホイットレーの片隅にいらっしゃる。私のフライフィッシングに転機をもたらした一本。ウェットフライの釣りに着実にとりつかれていった。美しいウェットフライのプリポーションにも惹かれだした。自分が美しいと感じるフライで美しい魚を釣りたい。自分の満足のいくフライで魚を釣ろう。清流に流しても恥ずかしくないフライで釣りをしよう。タイイングが終わり全体を見渡して、納得がいかないところが少しでもあれば、すぐにばらした。クイルウィングを巻き止めるのは難しかった。最初は全然うまくいかなった。巻いては壊し、巻いては壊し…。タイイングブックをめくることが多くなった。ウェットの美しいプロポーションを体に染みつけさせようと思った。巻いた巻いた…。そんな中、1つのフライが完成した。このブログのWetFlyBoxのなかでも紹介している、「ナンバーワン」である。このフライは、本当によく釣れる。これまで数々のドラマが起こっている。巨大な魚との出会いをもたらしてくれるフライ。

知らず知らずのうちにウェットフライばかりを巻いていた。ホイットレーにずらーっとウェットが並びだした。

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2007年5月26日 (土)

邂逅~フライフィッシング~ その8

次第にフライで魚がよく釣れるようになり、ルアーはあまりやらなくなった。なかでもドライフライの釣りはやっぱりおもしろかった。管理釣り場の流れの中に定位している巨大なニジマスをサイトフィッシングで釣るのが好きだった。魚の上流にフライをキャストすると、ゆっくりす~っと魚が浮上してフライをくわえる。スローモーションのようなあの瞬間がたまらなかった。管理釣り場で場数を踏み、少しずつ自然の川でもフライで釣るようになった。

 あるダム湖にそそぐ小さな川でドライフライに熱中した。この川ではイワナが遊んでくれた。故郷の川のイワナとはちょっと雰囲気が違うイワナたちとの遭遇が楽しくて仕方なかった。バイト代でホワイティングのブラウンサドルハックルを買った。初めてのハックルケープ。いくらしたんだろうか…。正確な値段は覚えていないが、震える手で財布から紙幣を抜きだしたのを覚えている。大学生が十数日食べていけるには十分な金額だったと思う。このハックルでドライを巻いた。パラシュートタイプが好きでたくさん巻いた。テールも茶色、ボディーはハーズイヤー、カーフテールのポストを立てて、大事なハックルをこれでもかってくらい厚く巻き、ちょっとやそっとじゃ沈まないフライだった。こんな中、すごく釣れるフライが生まれた。黄色のディアヘアーでエクスタンドボディーをつくって、ポストにカーフテールを立て、そして茶色のハックルをパラシュートタイプに巻く。釣れた。これさえあれば、釣れた。カゲロウに見えたのか、それともエクスタンドボディーが毛虫にでも見えたのか、魚に聞いてみないとわからないが、本当によく釣れた。この川にはよく通い、たくさんのイワナに逢った。お気に入りのフライをキャストする。イワナが何の疑いもなくライズする。リリースするときイワナと目が合う。「なんだ…またあんたかい」イワナは笑って水に帰っていく。

この頃からだろうか。釣りは自分をあるがままの自分に戻してくれる、そんな遊びであることを感じ始めた。まあ、大学生といっても講義に、論文に、バイトにつき合いに、将来への不安に、今ほどではないけれど、考えることが色々あって、悶々とすることが結構あった。こんなとき自然と川に足が向いた。心を癒し、自分をリセットしてくれる川があり、イワナがいた。故郷を離れた4年間。でも、心にいつも故郷の川は流れていた。

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2007年5月23日 (水)

邂逅~フライフィッシング~ その7

大学生になって、故郷を離れた。でも釣りはやめなかった。大学時代はミノーの時代。はまりにはまった。なけなしのバイト代で少しずつミノーを買いためていった。パニッシュ、ヴィクセン、ラパラ…そして、トゥインクル。1個1000円以上もするミノーを毎月ちょっとずつ買うヨロコビを感じていた。ロッドも軽いミノーを効率よくとばせるロッドを使いだした。トゥイッチング、ユーエフェクト、いろんなテクニックで魚を釣った。本流でも魚が以前より釣れるようになったし、釣れる魚のサイズも大きかった。何よりも、ガンガン瀬から猛然とミノーに襲いかかる魚を釣るのが最高に楽しかった。こんな場所で魚がかかるとリールが逆転して「ジージー」とうなる。この一瞬が最高。いつまでも魚とやりとりしていたいけれど、はやく魚を手元まで寄せたい…そんなココロの矛盾を感じるのが楽しかった。自分のミノーでの釣りがそこそこ通用するのではないかと自信を持ち始めたのは、渚滑川、阿寒川での釣りだった。多くの釣り人と闘ってきた歴戦の勇者のような魚を釣ることができた。それからは、もうミノーばかりの釣りだった。湖でも、ミノー。寒い朱鞠内湖で1日立ち込んで粘りに粘ってミノーで釣った銀ぴかのサクラマスは今でも鮮明に心に残っている。まさに、ペイシェント、ペイシェント、ペイシェント…釣りは忍耐の芸術である…。初めてイトウに逢ったのは大学4年生だった。忘れもしない雪の中、前述の私が勝手に師匠と思っている故郷のフライマンと一緒に行った、猿払だった。猛然とボイルを繰り返すイトウ。しかし、さっぱり釣れない。自信のミノーにもなかなか反応しない。そんな中、猿骨川で小さなイトウを一匹釣った。最高にうれしかった。小さかったけど、イトウはイトウ。忍耐を要して釣った魚にはサイズによらず、大きな価値があることを感じだした。たくさん釣ることももちろん楽しい。大きい魚が釣れればすごくうれしい。だけど、自分が立てた戦略、テクニック、流れを読み、魚がヒットする瞬間を予想して、その予想通りに魚がヒットしたときのヨロコビを釣りの第一の醍醐味と感じだした。自然と川と魚と話をすること…自然を観察すること…自然を感じること…そんな楽しみを味わうようになった。

 フライで釣る割合が増えていったのも大学生のころだった。旭川に住んでいて近郊に大きな管理釣り場ができた。ウェーディングも許されていた。ここでフライの腕を磨いた。行きつけのフライショップが管理していて、そこの店員さんと仲良くなっていろいろ教えてもらった。ドライフライの釣りがメインだった。そのうちオリーブマラブーのテール、ビーズヘッドの簡単なニンフというかウーリーバガーもどきのようなフライを沈めたり、引っ張ったりして魚を釣るのがおもしろくなった。通いに通った。モーニングタイム3時間の料金が安くて、講義の前に3時間くらい釣りに行っていた。今もまあ、そこそこ元気だが、あの頃は、たいして寝なくても大丈夫だった。夜な夜なフライを巻いては朝、釣りに通う。そんな生活だった。

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2007年5月22日 (火)

邂逅~フライフィッシング~ その6

高校生になり、ルアーを覚えた。餌釣りからルアーへの移行の決定的な理由は、開高健への憧れだったように思う。モンゴルで巨大なイトウを抱え、「やりましたー、120㎝!2年かかった」絶叫し、笑っている開高さん。フェンウィックのロッドにアブアンバサダーのリール。そして、ネズミのルアー。強烈なインパクト。開高さんの書いた本を読みあさった。私のバイブル。文書に映像に、開高さんの発する言葉に胸が高鳴り、ココロがふるえた。「ペイシェント、ペイシェント、ペイシェント。忍耐、忍耐、忍耐。釣りは忍耐の芸術である」「「川のなかの一本の杭と化したが、絶域の水の冷たさに声もだせない。芸術は忍耐を要求するんだ」寒いイトウ釣り、釣れない本流ウェット…時々、口をついて出てくる…「ペイシェント、忍耐…芸術には忍耐がいるんだ…」

高校生の私の中にしっかりと開高健がとけ込み、ルアーフィッシングへとはまっていった。ルアーボックスには、スピナーがたくさん。ブレットンにアグリアロング…。これを引っ張るだけで魚は釣れた。楽しかった。何に見えるのかわからないルアーに魚が飛びついてくる。湖では、スプーン。チヌーク、ダンサー、クルセイダー。川ではなかなか釣れない大きな魚が釣れる喜びがうれしかった。湖の釣りは難しかった。はっきり言ってどこに魚がいるかわからなかったし、回遊してくるパターンなんかもよくわからなかった。ただ、スプーンをゆっくり沈めてルアーの動きを感じるようにリーリングする。それだけを心がけて釣りをしていた。湖の釣りもおもしろかった。わからないことだらけだったけど、いつ来るかわからない魚のアタリに備える、緊張感がたまらなかった。湖の遠いところで魚がかかる喜びも最高だった。魚とのやりとりが長くとれる気持ちよさがたまらなかった。親父と湖にカヌーを浮かべてよく釣っていた。抽選でミヤベイワナを釣りに行った然別湖、チミケップ湖、などなど。湖の釣りは親父の方がよく釣っていた。はっきり言って、湖の釣りは今でも苦手である。

フライロッドを始めて手にしたのもこのころだ。ロッド、リール、ラインがセットになったものをはじめて買った。ちょこちょことフライにも手を出し始め、タイイングも始めた。バイスやマテリアルも必要最低限買いそろえ巻きだした。キャスティングが難しく、芝生の上で練習した。ルアーロッドとフライロッドを両方もって釣りに行っていた。8割がルアー、2割がフライそんな割合で釣りをしていた。

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2007年5月20日 (日)

邂逅~フライフィッシング~ その5

手作り毛針第1号をキャストした。まあ、それなりに毛針は飛んでくれた。毛針第1号は、頼りなく浮かんでるんだか沈んでるんだかわからないような状態で川面を流れた。ドライフライ、ウェットフライなどの考えもなく、はっきりいって毛針でどうやって釣るかなんてまったく知らないのである。「まあ、毛針ってヤツは虫をまねしてるんだから、とりあえずちょびっとでも浮いていて、自然に流れていればいいんじゃないの」というようなお気楽な考えで毛針を流した。ところがである、あっさり一発で魚が毛針に飛びついたのである。「あっ、釣れちゃった」まったく予期せぬ出来事でうれしいにはうれしいのだが、あまりにあっけない。でも、相当に興奮していた。自分の巻いた毛針(もどき)が魚に虫だと思ってもらえた、今までの苦労が報われた、自分でいろいろ考えて釣った一匹だったのでものすごい満足感、そしてなにより水面をわって魚が飛び出してくるあの瞬間が目に焼き付いた。これで、毛針釣りにやみつき…になるかと思いきやでもやっぱり餌釣りの方が釣れるので、まだまだ餌釣りがメインだった。でも、毛針と無骨なラインは常にベストのポケットにしまっておいて、時々毛針で釣っていた。

魚をリリースすることを覚えたのも中学生のころだったと思う。このままのペースで釣った魚を持って帰っていたら、確実に魚は少なくなる。他の釣り人も持って帰っていると考えると相当な数の魚が川からいなくなっていると気がついた。魚がいなくなれば釣りができなくなる。それは困る。リリースの重要性に気づき始めていた。ただ、祖父の喜ぶ顔が見たいので、30㎝くらいの大きめの魚が釣れたときは少しだけちょうだいしていた。

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2007年5月18日 (金)

邂逅~フライフィッシング~ その4

新たな壁は、どうやって“毛針もどき”を飛ばすか…。本を読んでみると、どうやらフライには専用のフライラインというものがあり、ラインの重さでフライをとばしていて、日本のテンカラもテーパーラインなるものを使ってフライを飛ばしているということを知った。今でこそ当たり前の知識だけれども、当時の中学生にとっては「すげえなぁ…、ムチみたいなもんか…インディージョーンズが振り回していたあれね…」ため息しか出ない…。もちろん高いテーパーラインだのを買うことなんかできるわけもない。

でも毛針で釣ってみたい。お菓子の缶の中で僕の毛針が出番を待っている…。また、考えた…。本を読んだ。釣りの神は僕を見捨てなかった。とある本に、手作りテーパーライン作成法なるものが載っていた。「3mののべ竿には6本縒り○㎝、次5本縒り○㎝」みたいに先っぽに向かうにしたがってだんだん細くなっていくレシピが見事に載っていたのでる。まさに地獄に仏、渡りに船、「これだ~」って雷に打たれたような衝撃的出会いだった。

それから、僕は毎日、3号の蛍光イエローの釣り糸を切っては、ねじり、切っては、ねじりしていた。完成まで1週間くらいかかったと思う。継ぎ目は強引に玉結びでつないだ。みたくれは、かっこわるいボコボコのライン。でも、前方に飛ばしてみると「ヒューン」という感じで先っぽまでターンオーバーしていった。うれしかった。涙がでるほどうれしかった。この無骨な手作りラインを何とか愛用ののべ竿に装着し、はれてお菓子の缶から日の目を見ることになった手作り毛針1号、2号をつれて川へ向かった。

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2007年5月17日 (木)

邂逅~フライフィッシング~ その3

中学生になると行動範囲が広がった。自分の責任で釣りに行けるようになった。釣り好きの友達もたくさんいた。リュックを背負い、自転車を走らせ川に通った。部活の帰りに野球の練習着のまま釣っていたこともあった。やっぱり魚はたくさんいた。

 本を読んでいて「毛針」なるものに出会ったのは、中学生の頃だったと思う。なんじゃこりゃ…。初めて毛針を見たときの感想。こんなので釣れるのか…率直に思った。釣り針に、クジャクの羽がグルグル巻き付けてあって、ぱらっと茶色のハックルが巻いてあった。毛針で釣っている人なんて見たこともなかった。ただ、お袋の友達の旦那さんがフライをやっているということだけは耳にしていた。この方が後に一緒に酒を飲み、スペイの話をし、僕が勝手に師匠と仰いでいる方である。

 でも、何か毛針には引きつけられるような不思議な魅力があった。毛針で釣ってみたい…自然発生的にそんな気持ちになった。毛針を作ってみよう…漠然と考えた。

 ボビンもない。スレッドもない。マテリアルもない…。ましてやバイスなんかあるはずもない。それでもやってみたかった。考えた。軸の長いハリス付きの針を用意した。これに巻こうと思った。ボディーにはクジャクなんかあるわけないので毛糸をつかった。ハックルは、ご先祖様ごめんなさいと手を合わせつつ、仏壇の羽根ばたきから拝借した。スレッドはお袋のミシン糸から拝借。そして問題のバイス。ラジオペンチに針をはさみ、「握り」の部分をひもで縛った。ありったけの本を机の左側に積み上げ、本と本の間にラジオペンチをはさんだ。バイスメーカーもびっくりのお手製バイスなのである。

 手先の器用さには多少なりとも自信があった。ボビンは使わずに糸を直接指でつまんで巻いていった。毛糸のボディーもなかばやけくそ気味にグルグル巻いた。ハックルもハックルプライヤーなんてあるわけもないので、強引にクルクル…。この試行錯誤の末、記念すべき第一号の毛針(?)ができあがったのである。この毛針を2本巻き、大事に大事にアメだかなんだかのお菓子の小さな缶に入れて持ち歩いた。この毛針をデビューさせるにはまたしても難関がたちはだかった。

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2007年5月16日 (水)

邂逅~フライフィッシング~ その2

それからすぐ釣り竿を手に入れた。おそらく買ってもらったと思う。うれしかった。やっぱり3mくらいののべ竿だった。親父も巻き込み釣りを始めた。仕掛けを作るのも知らず、糸の結び方もわからない。図書館で本を借りて、読みまくった。伯父からもいろいろと教わった。この伯父、糸の結び方などはかなり適当である。しかし、釣りは抜群にうまい。餌もそこら辺からバッタやクモなんかを調達してきて、バシバシ釣る。根っから釣りを楽しんでいるそういう人である。

このころ、親父と僕にはとっておきのポイントがあった。でっかい木が倒れ、木の根が川をせき止めていた。深い深い淵だった。今考えると信じられないくらい魚がついていた。巨大なアメマスがたくさんいた。まだ、キャッチ&リリースなんて概念は小学生の頭にはなかったので、釣れた魚はキープしておいしく頂いていた。亡き祖父は魚が好きだった。釣れた魚を祖父に渡すといつもうれしそうに笑ってくれた。特にヤマメを持っていくとなおさら笑顔が明るかった。親父は釣れた魚を薫製にした。幸せな思い出だ。

まだ、川を歩いて釣るという考えはなかった。とっておきのポイントにいれば、魚はおもしろいように釣れたからだ。初めてウェーダーを手に入れたときまた釣りの世界が変わった。ウェーダーは街の小さな釣具屋から買った。足の悪いおじいちゃんがやっていた店で、もう店をたたむからといって安くしてもらった。川を歩けるようになった。たくさんのポイントを目にするようになり、どうやって流せば魚が釣れるのか考えるようになった。魚は釣れた。イワナ、オショロコマ、ヤマメ、ニジマス。川を歩くようになって、親父にベストを買ってもらった。タラスのベスト。つい数年前までこのベストを使っていた。数々の激闘の後が残っており、穴だらけ。引退した今でも僕のタイイングルームの壁に飾ってある。このベストをみればいろんな思い出が蘇ってくる。こうやって、僕は故郷の川で釣りにのめり込んでいった。

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2007年5月14日 (月)

邂逅~フライフィッシング~ その1

 ふと思った…釣りをはじめたのはいつからだ…?こんなクレージーフライフィッシャーになるまでの軌跡は…?

 ぼ~っと1人考えてみた。

 うん、せっかくブログをはじめたのだから、ちょっくら自分なりに自分がクレージーになるまでのいきさつをつづってみようかなぁ…って唐突に思ったので、しばらくダラダラと書き続けます。暇だったら読んでください。まぁ、たいした文章にはなりません…。

 邂逅(かいこう):国語辞書では「人生の途上において重要な機縁となる出会い、めぐり合い」とある。それで、自分の人生に重要な影響を及ぼしているフライフィッシングとの出会いを書きます。はじまりはじまり…。

「釣り」に出会ったことは、私の人生に大きな影響を及ぼしていることは間違いない。釣りからいろんなことを学んだ。自然とのつきあい方、自然の偉大さ・大切さ、そして怖さ…、生命への畏敬の念、これからの自然のこと…。そして、釣りをしていると知らず知らずのうちに大切な仲間ができている。気がつくと人と人とがつながっている。釣りを好きになってよかったなあ…最近ホントにそう思う。

私が釣りを始めたのは、いつ頃だろうか…ふと思い起こしてみた。

小学校の4年生くらいだろうか。ある夏の雨の日、釣り好きの伯父に川に連れて行ってもらったのが最初だったと思う。小さい頃から、生き物が好きだった。釣りに連れて行ってもらえる喜びでココロときめいたのを鮮明に記憶している。もちろんいきなりフライフィッシングをはじめたわけではない。3mくらいののべ竿に餌のミミズをつけての釣りだった。この雨の日、僕はもう2度と後には戻れない一歩を踏み出したのである。一匹の魚がかかった。初めてのアタリだった。「ピクピク」わけもわからず、強引に竿を持ち上げた。「ブルブル」魚の命が竿を通して伝わってきた。「ぽちゃん」僕は強引に竿を上げたため魚はまた水の中に戻っていった。不思議と落胆はなかった。驚喜、歓喜、感動、楽しさ、心地よさ、そんなものがごちゃ混ぜになって僕の体の中を渦巻いていた。あの瞬間、あの気持ちは、いまでも覚えている。一瞬で釣りの世界にはまった。のちのクレージーフライフィッシャーの誕生である。

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